全国裏探訪取材班は、宗教都市「一身田町」に来ている。ここで言う宗教都市とは、寺内町と言って本山専修寺と言う寺院を中心に町が形成され、その周りに堀が巡らされ信徒をかこっていたからだ。
「本山専修寺」
そんな、神聖な領域なのだが、人間の煩悩と言うのはなかなか消えないのがまた人間臭いものでもある。
この寺内町の堀の周りには、そんな煩悩の象徴ともいえる遊郭がかつて存在したんですよね。その名は「一身田町遊郭」というもの。現在はどんな風になっているのかそこんとこを見て行きましょうか。
本山専修寺から丁度南側の東、ここにも寺内町の堀のようなものが今でも残っており当時を偲ばせる。
「百五銀行」
銀行の支店は一般的にはそっけないものが多いのだが、この支店はしっかり景観に合わせてそれっぽく作られている。
「左御堂 并 亰道 右 江戸みち」
銀行の敷地には今でも天保年間に建てられた道標が残されている。なかなか歴史ある街なんだよな。
「黒門跡」
そんな路地をまっすぐ南に歩いていくと、あ、また橋がありますね。さっきより大きいのでここが黒門跡といって寺内町の結界だったところだ。かつては治安維持の為、午前6時から午後6時まで門が開かれ夜は完全に締め切られていたのだという。
「環濠」
一身田町は前述の通り町を四方を濠で囲まれており、その濠の事を環濠と言うそうだ。という事はここから南が寺内町外という事になるのか。
「橋向通」
その黒門跡から、結界の外に出た取材班はさらに南下する。この道を地元では橋向通と言う様で、伊勢神宮と一身田を繋ぐ道だったのだそうだ。まぁいえば一身田の門前町と言ったところか。
当然、お伊勢参りの帰り道での“精進落とし”の文化もあるとのことで、例に漏れずここにも「一身田町遊郭」という遊郭街があったようだ。一時は山田(伊勢市)の古市遊郭、松坂の東廓西廓に次ぐ第三の規模だったようである。
ちなみに1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内にもその記述があったりするので、それを参考にしながら町を見て行きましょうかね。
「一身田町遊郭 は三重縣河藝郡一身川町字橋向町に在つて、關西本線龜山驛から参宮線へ乗換一身田驛から、伊勢電車へ乗つて髙田本山停留所で下車する。此の町には高田専修寺があつて此の寺の爲に榮えた町で、真宗髙田派の總本山である。本尊は慈覺大師作の阿彌陀佛で、天拝一光三尊佛である。宗教の盛んな處丈けに、人情は至つて純朴である。(続)」
住人の性格だけではなく、この物件なんかも日本的な純朴さを感じるな。非常に質の高いものが良く残っている。
隣三軒に妓楼っぽい物件が並ぶその姿は一見に値する。これは、間違えなく一身田遊郭のハイライトじゃないでしょうかね。
玄関前のこのライトなんかも、現役で稼働してそうだし。こんな物をしっかり保存するほかどんなものを保全するんでしょうか。文化財級だと思うんですが。
こんなオブジェクトを見ていると俄然テンションが上がってきましたよ。次回に続く。
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(2020)