全国裏探訪取材班は、金津遊郭を祖に持つソープ街「金津園」に来ているわけだが。ところでこのページの読者の方は、金津遊郭の発祥はこの地では無い事はご存知だろうか。今回はそのルーツについて物件を見ながら紹介していこうと思う。
「ムーンライト 予約電話 274-3030」
「ムーンライト」
うわ~遠方から見ると結構ズタボロだな。いつから放置プレイなのかは知らんが、かなりキテますね。
「岐阜シティ・タワー43」と「ムーンライト」
左側のタワーは2007年(平成19年)に完成した岐阜シティ・タワー43。岐阜県1高い建物と金津園一高いムーンライト(裏探調べw)
「MEN’S SALON プレイガール」
こっちはウサギ印が目印のプレイガール。プレイボーイじゃなくてプレイガールというのがミソなんだよな。
「ロマネ」「紫音 シオン」「花手毬」「ドルチェ」「入船 いりふね」「時計台」「ムーンライト」
金津園の一番西側の筋から東方面を見る。
「ジュリエット」「貴公子」「黒騎士」
この金津園の発祥は古く明治まで遡る。初めは1888年(明治21年)厚見郡上加納村字金津という場所に置かれた。その後西柳ケ瀬に移転する。ちょうど1930年(昭和5年)発刊の遊郭散策のバイブル“全国遊廓案内”に掲載されている内容は概ねこの時のものだ。
そこにはこう書かれている。抜粋でが見て行こう。「―(略)―目下貸座敷は五十四軒あつて、娼妓は約四百八十人居る愛知縣岐阜縣の女が多い―(略)―」
なるほど、現在の金津園の規模が50件強の店舗数の為、90年以上前の西柳ケ瀬時代の金津遊郭と規模がほぼ変わらんな。娼妓、いや、ソープ嬢ももしかすると当時と同じ480人位いるんじゃないですかね。もちろん“愛知縣岐阜縣の女”で。
「館 やかた」「クラブ ハートムーン」
その西柳ケ瀬時代も大東亜戦争がはじまると、当地に軍需工場建設の為移動してしまう。3度目の移動先は岐阜市郊外東中島という場所。今の住所では岐阜市手力町だ。ここは戦後に「手力特殊飲食店街」と呼ばれ、当初は戦時急造のためバラックの集合体のような街並みだったという。
そして、4度目の移動先が1950年(昭和25年)。この岐阜駅南側の一帯は当時紡績工場があったが、手力特飲街からこの工場跡地に一斉移転してきた。その後は、赤線時代を経てから今現在のソープ街「金津園」となる。紆余曲折色々な時代があったんだな。また、今度岐阜に来るときはこの、1世代目から3世代目も調査しないとね。
実はこの金津園はまだ紹介しきれてないので、次回も継続してみて行くぞ!
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(2017)