全国裏探訪取材班は、千葉県船橋市にやってきた。今回船橋市にある「都疎浜」って何?と読者からタレコミというか質問をもらったので都内からやってきましたよ。この都疎浜というのは戦中戦後“都”(都内)から”疎”(疎開・引揚)してきた“浜”(塩田跡地)という意味らしい。なるほど、ってことは戦後ドサクサ臭のあるちょっとアレな場所なわけですか。
はい。でこの都疎浜は現在はいわゆる通称になっており、現在の住所は千葉県船橋市南本町というところ。さっそく空き地というかバラックのようなものが見えてくる。
基本的に現在、都疎浜こと南本町に関しては多くの部分が区画に区切られ住宅地化しているんで、戦中戦後の疎開の陰鬱な雰囲気はほぼないんですけど。南本町の東端、住所で言えば「南本町44番地」と言われるところは現在も戦後を引きずりまくっているバラックがある。
こちらが、その南本町44番地だ。南本町44番地は南北に長細く、裏には山谷水門から北に延びる様子路がある。いわば南本町でも一番プアな区画だ。ほら、いかがですか?
で、逆に、バラックではない南本町の住宅地側はどうかというと・・これですね。ちょっと船橋市の新興住宅地に比べると昭和感が残っており、お世辞でも裕福ではなさそう。南本町自体がちょっとアレなんでまぁ無理もないか。
「船橋市南本町44」
さて、続いてバラックを見ていこうとしようか。わかりやすくバラックの前には電柱に住所が書かれている。親切だなぁ。てかこれは人が住んでるの?w
バラックには、電話金融のマルフクや葬式の船橋会堂の看板が貼られている何とも香ばしい風景。いいね~金融と葬式って。相性抜群な気がするw
このバラックもトタンが何重かに重なっていて、雨漏り、隙間風の症状が出る度に補修しながら住んでいたんでしょうかね。でも肝心の家主は自身を補修できず絶命したんでしょう。もちろん、お葬式は船橋会堂だったに違いない。バラックの裏には用水路がありますよ。
都疎浜バラック地帯の南本町44はこのように、木々が鬱蒼と茂っている空間も多々ある。元はバラックが建っていたんでしょうか。猫も休憩していますニャー。
続いて物件を見ていこう。これももう家主は居ないっぽい。てか写真右の扉の奥に物件はすでにない。バラックトマソンか。
お、これもバラックか。てか、このバラックは盛大に傾いてるなぁ。生活感が感じられ、今でも主が居そうなんですけどこんな傾いてるところに住んで気分悪くならないのかなぁ。ちなみ私は3/1000でも傾くと違和感を覚えますが。
一般的に傾きが10/1000で明らかに生活に支障をきたし、吐き気やめまい、頭痛などに見舞われるらしい。でもこの写真から判断するに、100/1000ぐらい傾いているように見えますが。こんな傾斜で住めるとは頭のネジが飛んだ人間なのか、それとも人間じゃないのか。あ!ちなみに、ココの傾いている物件に住んでるのは、日本人じゃないですw
さて、次回も都疎浜こと南本町44のバラック街を見ていきましょうね!
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(2020)