全国裏探訪取材班は、千葉県船橋市にやってきた。この船橋市にはかつて「船橋海神新地」という遊郭があったらしい。今でもポツンと一軒家ソ-プがあったりするんで前回から見てきてるんですけど、今回は界隈の様子を見ていこうと思っている。
「ソ‐プランド ミネ」
前回はこの、船橋の住宅街の中にポツンとあるソ‐プを見てきたわけですけど、実はこの界隈が「船橋海神新地」というかつて遊郭だったところ。今回はその残照を求め路地を徘徊しようと思う。
現在はこのソ‐プだけがかつて遊郭から赤線だったことを示すものになってしまっているんですけど、オンボロの街並みは健在なようだ。
「船橋市 本町二丁目」
かつて海神新地と呼ばれていたようだが、その地名は現在はほぼ残っていないようで、現在は千葉県船橋市本町2丁目辺り。
「スナック 八千代」
この辺はずいぶんと住宅地化が進んでいるのだがところどころ怪しげなスナックや、解体を待つかつての小料理屋のようなものが残っている。
「HOTEL 31」
しかも、なぜか住宅地の真ん中にラブホなんかがあったりと、かすかに遊郭からの赤線を感じることができる。遊郭→赤線→転業旅館→立て直しでラブホみたいな沿革だったりして。
現在はほぼ当時の物件のない界隈なんですけど、1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内にはしっかりと、千葉縣の部の筆頭として記載がある。
「船橋町新地廓 は千葉縣東葛飾郡船橋町新地に在つて總武本線船橋驛で下車すれば西へ約八丁、船橋タクシーは市内五十銭均一である。(続)」
「(略)此処は徳川時代からの宿場女郎として、最近迄國動に沿ふて散在して居たものであつたが、昭和三年に現在の個處へ移轉して遊廓へと成つたものである。従つて貸座敷の建物も皆木の香りのする眞新らしい瀟洒な家計りで、裏の三田濱を見晴して一寸景色も善い。(続)」
「東京の好事家は大部此處迄遠征にやつて来る向きもある。貸座敷は目下十九軒あつて、娼妓は百十二人居るが山形縣の女が最も多く、次は東京府の女である。店は陰店を張つて居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。客の廻しは取つて居る。(続)」
「費用は本部屋が五圓で、甲が三圓、乙が一圓五十銭で、何れも夕景から一泊が出来、各臺の物も附く事に成つて居る。娼樓には吾妻家、松濱樓、魁樓、桃太樓、辰榮樓、甲子樓、つる家、金太樓、正晃樓、三つ輪樓、遊淸樓、世界一樓、龜家、大黑樓、一力樓、上越樓、山口樓、船橋家等がある。」
かつては千葉を一位二位を争う遊郭だったらしいのだが、現在は残念ながら住宅地化されてしまっている。正直もうソ‐プランドミネが陥落するともう終わりなのかもしれん。でもミネがあれば未だに現役の「船橋海神新地」と言えるのかもしれない。
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(2020)