【全国屈指の】筑豊直方の「二字町遊郭」を歩く。【高級遊郭】(4)

 

全国裏探訪取材班は、福岡県の直方市の「二字町遊郭」を裏探訪している。前回までは唯一の現存妓楼であろう「一心楼」を見てきた。今回はメインストリート始め遊郭の縄張りの中を廻っていきたいと思う。

「二字町遊郭のメインストリート」

この写真の中央の真ん中を水平に左右に通っているのが、二字町遊郭のメインストリートだ。

こちらがメインストリートなのだが、当時の見取り図によれば、このメインストリートに、「関の家」「一心楼」「大正楼」「松鶴楼」「敷島楼」「源開楼」「松月楼」「曙楼」「新玉楼」「三笑楼」「喜楼」「八千代楼」があったのだという。

他には、「名月楼」「千秋楼」「一力亭」「改進楼」などの妓楼があったそうだ。全盛期の大正末期から昭和初期にかけては妓楼が16件あり約200名以上の娼妓が奉公していたらしい。この見取り図も16件が書かれているのでその当時のものなのだろう。ちなみに二字町遊郭は戦後も赤線と存続したのだが、売防法の施行と同時に消滅した。

ここは当時新玉楼があったであろう場所。今は民家になっている。どこの遊郭跡でもそうなのだが、元遊郭とだけあって少し地価が安い場合もあるといいう。

特に最近はタマホームのCMのように、家系に1家ではなく、核家族に1家というのが多く、特に九州の文化では家を持たないと一人前として認めてもらえないような風習があるのだという。なのでこんな遊郭くんだりでさえマイホームが立ち並ぶ。

取材班はメインストリートの西の端までやってきた。この先は池しかないのだが、ここには特に大きい空き地を発見した。

こちらが、見取り図でいう「曙楼」があったところではないだろうか。これは敷地的にはさっきの一心楼より大きいぞ。この空き地は国土地理院の1979-1983年の航空写真ではすでに空き地なのだが、1974-1978年の航空写真では大きな屋敷が見て取れた。

ということは、取り壊されたのは遅くとも1983年(昭和58年)には解体されていたということか。空撮でその敷地に近づいてみると、人の背丈ほどありそうな灯篭が今でも健在だった。やはり妓楼だったに間違えない。

 

さて、高台に存在し、池まである風光明媚な遊廓跡なのだが、そろそろその探訪も終盤になってきた。

そして、見取り図の曙楼と新玉楼の間の路地を北側に入って行く。すると「心華女学校」や「娼妓診療所」、さらに道の迎えに「巡査派出所」があるのが確認できるだろう。

「心華女学校跡地」

この写真がその心華女学校の後だと思われる場所だ。こんなところに女学校(?)と思われるかもしれないが実はこの心華女学校というのは、娼妓のための学校で、貧しい家に丁稚として売られ、まともに学校教育を受けていない娼妓のための学校だったらしい。悲しい歴史があるんだな。ところで、この物件、今でも縦格子がはめられている。まさか現存物件じゃないよね?

「娼妓診療所跡地(右)」「巡査派出所跡地(左)」

 

心華女学校や娼妓診療所、巡査派出所のあった区画は今は民家が立ち並んでいる。ちなみに娼妓診療所では性病検査やその処置に利用されていたという。

これでざっくりと「二字町遊郭」を見て廻ってきたわけだが、いかがだっただろうか。眺望佳麗・情緒管絃な高級遊郭とはいえ、現在その痕跡はかなり少ない。ただ、少し調べるといろいとな歴史が見えてきた。まだ痕跡が掴めるうちに早めの裏探訪をおすすめする。

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(2020)