【舞鶴三遊廓】東舞鶴「竜宮遊郭」は海軍御用達だったが・・【の1つ】(1)

 

全国裏探訪取材班は、京都府舞鶴市にある「竜宮遊郭」という遊郭跡があると聞いてやってきた。舞鶴市は西舞鶴と東舞鶴という風に東西で市街地が分かれている。しかも舞鶴と言うのは基本「朝代」、「加津良」、「龍宮」3つの遊廓があり今回お伝えするのはその中の「竜宮遊郭」だ。

「東舞鶴駅」

取材班が今回降り立ったのは東舞鶴駅。さて、城下町の西舞鶴に対しこの東舞鶴は近代以降に開かれた市街地だ。

何故、東舞鶴が近代以降発達したのはご存知の通り1901年(明治34年)に大日本帝国海軍舞鶴鎮守府は開庁した。 “ 歩兵連隊あるとこ遊郭あり”というのは何も陸軍だけではなく、海軍にも適用されることも多い。

そんな海上自衛隊舞鶴地方総監部、いわゆる舞鶴軍港から東へ2Kmほどいった所に今回の取材先「竜宮遊郭」がある。さっそく見て行きましょうかね。

「大門松島」

府道27号線に大門松島という交差点がある。これが竜宮遊郭へと繋がる交差点の一つだ。大門っていう名も遊郭関連なのだろうか。

志楽川を渡るとこんな感じの住宅街に出る。パッと見は何の変哲もない住宅地なんですけどここが竜宮遊郭か。

竜宮遊郭はこのように大通りが東西に通っており、南側には用水路というか運河の様なものが流れている。舞鶴市街と竜宮遊郭が大通りに並行する用水路で分断されており、これも遊郭あるあるだ。

竜宮遊郭の大通りはこんな感じ。遊廓の大通りと言うだけあってかなり道幅が広いな。中央に垣根があるのが特徴的で分かり易い。住所で言えば京都府舞鶴市市場や京都府舞鶴市竜宮町という場所を入力すればすぐに表示される。

「竜宮」

 

この竜宮遊郭は、西舞鶴の朝代遊郭より後に出来た遊里だ。完成したのは舞鶴鎮守府開庁と同じ1901年(明治34年)だ。当時の貸座敷の数は10軒未満だったらしい。

この竜宮遊郭は舞鶴軍港が近かったこともあり、主に海軍関係者を想定していた遊郭だったらしく、水路でも舞鶴港に繋がっていることも特筆すべきところ。さすが、海軍御用達遊郭だ。

その後海軍を中心とした町の発展とともに竜宮遊郭が成長し発展。完成時は貸座敷10軒未満だったが1911年(明治44年)には貸座敷35軒にまで膨れ上がった。その当時の娼妓の数も約150人ほど居たのだという。

最盛期は貸座敷46軒、娼妓は345人ほどにまで膨れ上がった。なるほど、その当時と言えば1904年(明治37年)から始まった日露戦争で対ロシアが重要視されこの舞鶴も活況だったのか。ただ、日露戦争も終わりロシアの脅威も無くなると舞鶴の重要性も低下。連れて竜宮遊郭も落ち目になっていく。

 

さて、どんな歴史があるのだろうか。次回も「竜宮遊郭」をじっくりと見て行きましょうかね。

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(2020)