【現在と過去】あの「五条楽園」のお茶屋街の今は。【着物で接客】(2)

 

全国裏探訪取材班は、今回は京都に来ている。京都と言えば四条は祇園にある花街が有名だったりしますけど、そんな有名な花街だけが京の花街ではない。祇園から一度1Kmほど南下すると昔の花街「七条新地」こと「五条楽園」があるエリアに到着する。

「五条楽園」(2005年撮影)

これが往時の五条楽園の風景だ。○○の形をした特徴的な看板がソッチ系の遊びが好きだった諸君の脳裏に深く刻まれていることだろう。もうあれから15年も経つのか。

「サウナの梅湯」

この高瀬川を渡ったところには、梅湯という銭湯がある。遊廓と言えば銭湯も付きものなんですけどこの五条楽園も標準装備か。でもこの梅湯、少し中を覗いてみると10年以上前の雰囲気とは違い若い方が経営してそうな感じだった。

「キヤマチ」

電信柱にはキヤマチ(木屋町)と書かれている。そう、この高瀬川沿いの道は木屋町通りと言われており、リッツカールトン京都がある二条から、崇仁地区のある七条まで高瀬川沿いをとおり京都の南北を繋いでいる。

さて、早速木屋町通りを北向きに歩いていきましょうかね。おや、早速物々しい物件があったりもするな。

「会津小鉄会」

ここは、泣く子も黙る京都の極道会津小鉄会の極道の事務所だったところ。1868年(慶応4年)幕末の侠客上坂仙吉が会津小鉄を結成した。

会津小鉄との名前の通り会津藩との繋がりが強く、幕末は京都でひと暴れしたようだ。それ以降京都では一大勢力で一時期までは山口組よりも構成員が多かったが内輪揉めや山口組の勢力拡大で現在構成員は20人ほどにまで減少しているようだ。まあ、遊郭に極道は付き物か。

そんな、侠客の事務所を過ぎると今度は五条楽園の一番のメインスポットが現れますよ。ほらこの佇まい。どうでしょうか。正面でもないのに関わらずなかなかの重厚感。

これが五条楽園でも一番有名な妓楼ではないだろうか。本家三遊と現在表記されているが当時は三友楼とも言っていたそうだ。唐破風の純日本仕様が目を引く作りになってんな。

 

「本家 三友」

「三友樓」

取材班の一人は工業デザイン系の出身で建築学も一部あったらしく、この唐破風は一見そのネーミングから中国風にイメージされることが多いというが実は日本固有の建築様式だ。

この様式は、安土桃山時代にこの様式が多いという。ほらだって隣の滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島にある大坂城の移築城門、宝厳寺唐門だってこの唐破風でしょ?大阪城に使われるくらいなんでかなり格式高い様式だったらしい。

「ホテルリブマックス京都鴨川前」

そんな、三友樓の前には現在ホテルリブマックスがw昔はなんか古い物件だったんですけど今は外国人向けにリメイクされているっぽいな。それにしても、ホテルリブマックス京都鴨川前ってネーミングだけ聞くとやたら豪華に聞こえるホテルリブマックス五条楽園ならある意味わかりやすいけど。

さて、次回も「五条楽園」をみていこうと思う。今日は眠いのでここまで。

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(2020・2005)