【沖縄県民】沖縄戦の司令部「海軍司令部壕」【斯ク戦ヘリ】(4)

 

全国裏探訪取材班は、「海軍司令部壕」のなかに入って各部屋を見て行こうと思う。部屋と言ってもアリの巣みたいな構造なんでとても人間の居住空間とは思えない。

「幕僚室」

幕僚室はこちら。ここも作戦室と同じでむき出しの地盤ではなく、しっかりとコンクリートで固められているのがお分かりだろうか。コンクリートには無数の点々があるのがお分かりだろうか。

この部屋でキャップを付けづにドレッシングを振ったような跡がある。この部屋の隣には司令官室や作戦室があるのだが、これは幕僚が手榴弾で自決したときの手榴弾の破片で残った跡なのだという。

コンクリートが3センチぐらいへこんでいるので、それが生身の人間が食らったらひとたまりも無く即死だったのだろうか。

幕僚室の隣には「暗号室」があった。

ここでは部隊や本土からの通信の為、電文を暗号化を復号化していたんでしょうかね。必死に暗号化しても米軍にはほぼ完全に解読されていただろうし。暗号化された電文を受信しても復号化は米軍の方が早かったのだとと言うのだから皮肉なことだな。

「97式TNT手榴弾」「99式ピクリン手榴弾」

中には、コンクリートが完全に貫通し、コンクリートの外側の枠組みの木が露出した部分が現在も残されていた。

地下なので湧水が年中あったようで、海軍司令部壕内は常時湿気が高い。今でもじわじわと地下水が流れているようだ。

壕内を進むとこちらは医療室だ。この小禄地区には将兵約4,000人が包囲され連日の米軍の追い込みに対抗していた。その為貧弱な医療設備では到底賄えなかったのだという。

当時の様子はこちら、このイラストは戦闘初期の物だろうか。生存者の話では実際は死亡者が多くこんな物じゃなかったらしく、地獄絵図だったという。

当時の医療設備は現代に比べると貧弱で正直医療と呼べる水準ではなかったんじゃないですかね。注射針とかも使いまわしで感染症とかもあっただろうし、まぁ感染症がひどくなる前に栄養失調でなくなりそうですけど。

海軍司令部壕内を更に奥に進んで行きましょうかね。ここは豪内では一番奥に当たるところだ。

そこには発電機室が3カ所残っていた。当然発電をすると二酸化炭素が排出されるので発電機室は一番奥に配置され空気の流れを一方向で管理し窒息しないようにしていたという。

発電機室の奥には通用口が設けられていた。

上を覗くと外に通じており、ここから空気を排出していたのだと思われる。現在でも体を止めて指を舐めて湿らすと空気が流れているのがよくわかる。

「下士官室」

こちらが下士官室だ。玉砕が近づいた1945年(昭和20)6月になると米軍に包囲追い詰められ戦線が矮小化。追い詰められた日本軍はこの壕内に撤退を余儀なくされ壕内はすし詰め状態だったのだという。

生存者の話によると壕内は立錐の地なしで、まるで通勤列車のように超満員で睡眠すら立って取っていたのだという。

壕内でも公開されているのは一部で、このように閉塞された空間も多くある。今だから照明も明るく整備されているが、生存者の話ではかなり暗かったらしい。目が慣れてちょうどこの位だったんでしょうかね。

さて次回「海軍司令部壕」最終回は、ついに米軍に追い詰められ玉砕の日を迎える。大田実以下将兵の運命はどうなるんでしょうか。

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(2020)