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全国裏探訪取材班は、東北は秋田に来ているんですけど秋田って地味で何も無いなぁって感じでフラフラと駅前通りを歩いていたんですけど、秋田駅から川反まで歩いているとなにやら他とは違ったビルディングを発見した。
「木内」
駅から歩いて5分から10分ぐらいだろうか。アーケードを歩いてくるとその物件は現れるんですがまだ店は開いていない。
秋田のエキストラ取材員S氏にこの物件の詳細を聞いてみると、その物件は秋田でも老舗の百貨店なのだという。今回取材班はS氏に色々この百貨店の話を聞いたのでそれを紹介していきましょうかね。
シャッターが閉まっていたので、午前中なのでまだ開店していないのかな。と思いながらウロウロしていると・・
「お客様各位 当面の間 臨時休業させていただきます 株式会社 木内」
このような貼り紙が張ってあった。S氏曰くこれは新型コロナウイルスが流行りだした今年、2020年(令和2年)3月ぐらいから閉店し始めたのだという。それがこの11月になってもまだ閉業しているという。

「木内 KINOUCHI」
今でも木内百貨店玄関前にはこのように金属製の銘板が堂々と掲げられている。毎日これを拭いているのだろうか。今でもピカピカだな。
「木内前」
で、お話を聞いたS氏曰く、この木内百貨店は秋田でも有名な老舗百貨店らしく、その昔は秋田の“三越”ぐらいの存在感があったのだという。いまでも木内百貨店前のバス停には木内前と停留所の名前にも冠されている。
「木内」
今でこそ秋田の百貨店と言えば駅前の西武百貨店なのだが、それで秋田の百貨店を語るのは偽秋田人という訳だ。
この木内百貨店は株式会社木内が運営している百貨店。「木内百貨店」の読み方は「きのうち」百貨店だ。現地民はよく木内デパートと呼んでいる。創業は1889年(明治22年)久保田藩士木内俊茂が「木内商店」を創業したのが始まり。
その後、合資会社木内雑貨店として法人化、その後は合資会社木内に改称。そして、この今の物件は1955年(昭和30年)に着工。2年後の1957年(昭和32年)10月18日鉄筋コンクリート造3階建ての百貨店に新装開店した。
「楽しいお買物に エスカレーター新設」「増築完成」「新新館近日開店」「木内 秋田 広小路」
その際の完成の謳い文句は「エスカレーターにのって楽しいお買い物」だった。当時としては秋田県内初のエスカレーターはかなり珍しかったようだ。しかも、エスカレーターにはエスカレーターガールという専任のスタッフも居たのっだという。時代だなぁ。
さてこの木内デパート。今はもうコロナでずっと閉店中らしいんですがこの後はどうなるんですかね。閉店するのか再会するのか。次回はS氏の昔の思い出を交えながらこの木内百貨店を見に行きましょうかね。
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(2020)