【幻の】小樽「オタモイ遊園地」って何?心霊?自殺?悲恋スポット?とにかく行ってみた!【遊園地】(3)

 

全国裏探訪取材班は、北海道最大の遊園地“だった”であろう小樽の「オタモイ遊園地」跡を裏探訪している。この遊園地は誰が作ったのだろうか。今回は現在の遺構を見ながらその辺を解説して行こうと思う。

このオタモイ遊園地なのだが開業は1934年(昭和9年)ごろだったと言う。ことの発端は、このオタモイ遊園地の開設者加藤秋太郎だ。彼は東京で江戸前寿司「蛇の目」で奉公しのちに朝鮮に渡り独立したが、朝鮮では現地人に事業で騙されて樺太で商いしとうと立ち寄ったのがこの小樽だった。またアイツらか。

「小樽 寿司屋通り」

現在でも小樽は寿司の町としても有名で、運河近くには寿司屋通りというストリートもあるぐらいだ。加藤は樺太には渡らず小樽で古巣の屋号「蛇の目寿司」と言うネーミングで開業。事業が軌道に乗って来たときに取引先の廣部よりオタモイという土地紹介し斡旋された。

当時この小樽という場所は経済の中心ではあったがさしたる目ぼしい娯楽施設や観光地もなかったことから、両者はこのオタモイ海岸に大規模な観光地にすべく奔走。遊園地の設置を始める事になる。

「オタモイ海岸」

1929年(昭和4年)に加藤は手始めに、陸、浜、漁場の計約10万坪(東京ドーム7個分)の土地を購入した。建設は直ぐに取り掛かりその夢の遊園地の施設が着々と竣工していく事になる。

前回見てきたこのオタモイ遊園地の空き地のある東側は、現在は殺風景なのだが演藝場や弁天食堂以外にもこのような施設があった。それは空き地の1番東側だ。

前の写真の演藝場の写真の右端にも写り込んでいるのがその施設だ。わかりますか?右の塔みたいなやつですよ。

「辨天拝殿」

1935年(昭和10年)にこの辨天拝殿が完成。これは、別名弁天閣や白蛇弁天堂と言ったようだ。今は残念ながら跡形すら確認しづらいが、当時と同じと思しき岩があるのが見て取れると思う。

 

こちらが往時の辨天拝殿から演藝場(左)、弁天食堂(右)を見た様子だ。いやぁ今となってはこんな所にこんなアミューズメント施設があったなんて考えられん。栄枯盛衰諸行無常とはこの事か。

「児童遊園」

上の辨天拝殿から西を見てもよくわかるように、オタモイ遊園地の東側は広い敷地があり、そこは児童遊園があったらしい。記述は「約二〇〇〇坪のグラウンドを中心にブラ ンコ、遊動圓木、辷り臺、シーソー、木馬、角力場、砂場等を設備しあり」とある。

100年前にこのクオリティ。当時の日本ってある意味、今より裕福で先進国だったんですね。当時娯楽の遊園地があった国なんてそうそう無いだろ。さすが、世界相手に戦争仕掛けようとしてるだけあるな。

「この先、崖崩れあり! 危険! 立入禁止! 小樽市」

ということで1937年(昭和12年)にはこのオタモイ遊園地のほぼ全設備が竣工したが、戦時色が強くなりオタモイ遊園地は旧園してしまった。

さて次回はいよいよ「オタモイ遊園地」の鬼門。西側の状況を見に行きましょうかね。

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(2020)