【二ホン人の闇】三十人殺しの「津山事件」の「貝尾集落」を訪ねる【は今も続く】(5)

 

全国裏探訪取材班は、1938年(昭和13年)5月21日未明に発生した日本はもとより世界史上最悪級の殺人事件「津山事件」の様子を現地からお伝えしている。

前回までは自家と3軒目まで襲撃したところまでお伝えしてるんですけど、既に3軒目で10人以上を殺害していることになる。これはひどいな。

4軒目は寺井政一宅を襲撃した。この家はそう、都井睦雄が懇意にしていた寺井ゆり子の家だ。ゆり子は睦雄と離れてからは隣町の親戚の家に嫁いでいたが嫁いだ先は近親婚姻を繰り返しており、優生学上の問題からすぐに離縁した。

寺井宅では戸主の政一(60)、長男の貞一(19)、長男内妻の三木節子(22)、五女とき(15)、六女はな(12)を闇の中次々に射殺。ただ、肝心の四女ゆり子に関しては取り逃がしてしまう。ゆり子は隣の寺井家本家、寺井茂吉宅に逃げ込むことに成功した。

その為、5軒目の襲撃は必然的に寺井茂吉宅となってしまう。この寺井茂吉宅は都井睦雄の祖母の本家でもあった。戸主茂吉の父は幸四郎(86)と言いい普段睦雄を丁寧に指導していたようだが、睦雄は興奮のあまり本家のじいさんにまで銃殺してしまう。

睦雄にはこの幸四郎じいさんを殺すつもりはなかったらしく遺書にも「討つべきを討たず、討たいでもよいものを討った」と回想されていた。睦雄が一番討つべきだったゆり子はこの寺井茂吉宅に逃げ込み軽症で事なきを得た。

寺井茂吉宅には茂吉(45)の他、妻伸子(41)、次男進二(17)、四女由起子(21)が居たが彼らは懸命に自宅に籠り犠牲になることは無かった。次男進二のみ外に出て行ったが、竹藪で姿を隠し助かった。

元々都井睦雄はこの家を襲撃する予定はなかったらしく、奇しくもゆり子はここに逃げ込み討ち漏らして抵抗に遭い、想定した以上の時間配分から大幅に超過してしまった。その為肝心のゆり子を深追いすることは無かった。

6軒目は、寺井好二宅を襲撃した。この戸主の好二(21)と、母トヨ(45)が居た。このトヨと言うのが、寺井ゆり子など集落の娘が嫁ぐときの媒酌人をしていた様だ。そら、都井睦雄に恨みも買うわけか。

 

7軒目は、寺井千吉宅を襲撃した。戸主の千吉(85)と妻チヨ(80)、長男朝市(64)、孫の勲(41)と妻きい(38)。そして、別棟の養蚕室には朝市の内妻、平岩トラ(65)、岸田つきよの長女みさ(19)、丹羽イトの長女つる代(21)が居た。

都井睦雄は真っ先に養蚕室に押し入り、みさとつる代を射殺。みさは1軒目に押し入った岸田つきよの長女であり恨みを買っていた。つる代の兄、卯一はゆり子の初婚の相手でこれも怨恨の対象だったようだ。一緒に養蚕室に居たトラは「こらえてくれ、こらえてくれ」と嘆願したようだが散弾銃を数発浴び即死した。

都井睦雄は養蚕室の3人を殺害後、母屋へと向かい千吉に銃口を向けた。ただ
「おまえはわしの悪口を言わんかったのぉ。こらえてやる!」と言い難を逃れた。睦雄は勢い余ったとはいえ、自らの本家の爺さんまで殺したが、冷静な判断力は少しは残っていた証拠か。

これらの事から、都井は単に人殺しがしたくて住人を殺害していたわけではないらしいのが伺える。次回8軒目以降を見て行きましょうかね。

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(2020)