【風俗から】元ちょんの間地帯「黄金町」の今。【芸術へ!?】(1)

 

全国裏探訪取材班は、神奈川県横浜市の「黄金町」へとやってきた。黄金町といえばどのようなイメージをお持ちだろうか。やはり、戦後の青線地帯からのちょんの間のイメージが1番多いのかもしれん。

「黄金町」

横浜駅から京急線で3駅のところにそれはある。場所は関内とか伊勢佐木町に近いところなんですけど、十数年前まではは関東最大の売◯地帯として超有名だったんですけど、覚えてます?

駅を降りると京急の高架がある。そう。この道筋にちょんの間がありましたよね?もう思い出してきましたか?

思い出さない?そうですか。それではこちらの写真なんかはいかがだろうか。薄ら記憶の引き出しが開いてきたのではないでしょうか。

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どうしても思い出せない方はこちらをご覧ください。そうです。電話ボックスのような狭い玄関が並ぶ光景をリアルでご覧になった方は多くいますよね。

ここはかつてのちょんの間黄金町だ。知らない読者に説明するならば、十数年前まで夜な夜な狭い玄関が並ぶこの現場にピンク、赤、オレンジで照らされた女たちが体を売っていた場所だ。

そのちょんの間地帯なのだが、令和の現在はどうなっているのかも含め、ここよ誕生からざっくり解説していければ。と、思っている。

ルーツといえば文明開花まで遡る。江戸時代末期アメリカが日本に開国を迫ったのは義務教育でも習う事だが、その時開国にあたり開いた港は函館、新潟、神戸、長崎、そしてこの横浜だった。そこは大丈夫よね?

 

「初音町商和会」

横浜の開国に合わせ付帯的に発展したのがこのエリアだ。目の前(写真左)には大岡川が流れておりそこを水路として物資の運搬などに利用していたそうだ。

「黄金町支」

現在は桜並木なのだが、当時は柳並木だったという。当時は繁華街といえば柳並木だったらしい。で、町の規模は伊勢佐木通り並に賑わっていたそうだ。

その後、関東大震災で一帯が被災するこのになる。一帯は横浜地区でもかなり被災者が多く、この黄金町界隈だけでも4-500人が死亡したらしい。

 

「コインランドリー コインシャワー 黄金屋」

関東大震災後は追いつきを取り戻したのは束の間、今度は戦災が黄金町を襲うことになる。1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲ではこの一帯が灰塵に期した。

当時の黄金町の様子はこうだ。地元民によると黄金町駅は当時市民が多く利用しており、電車が駅構内に入ると空襲警報が発報。乗客乗員は高架下の鉄筋コンクリート下に避難した。米軍は当時、B-29爆撃機に護衛の戦闘機も連れており、それらの戦闘機による機銃掃射で市民を執拗に攻撃。逃げ惑う人々も高架下に飛び込んだという。

 

この高架下に数発の焼夷弾数発が命中し同時に炸裂。逃げ込んだ人々を一瞬の内に地獄へ叩き落し入れた。この時の被害者は関東大震災を超える700人が米軍の戦争犯罪により犠牲になった。

「黄金荘」

そんな不運続きが重なってか、その後も関東でも指折りのDEEP地帯となるのであった。次回も、現地の写真を交え紹介していく。

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(2020)