【梅田で人骨】グランフロント隣、うめきた再開発地区に「江戸時代の墓」人骨大量発掘!【閲覧注意】(3)

 

全国裏探訪取材班は、梅田で人骨を発見したという報道を受けすぐさま現場へと急行した。報道され数日で駆け付けた計算になるのだが現場近くに行っても報道されたような発掘現場は無かった。しかし地図を見て調査を続けるうちに発掘現場を発見することが出来た。

〈毎日新聞から〉

このような地図が報道されていたようで、その近くへと足を運び空撮を試みた。

場所は変態新聞が示した地図の薄青色の南西の端の部分だ。はは~ん、ここか。確かに何かの調査をやってるな。もう少し寄ってみて行こう。

新聞報道で出ていたような骨が発掘されているたくさんの穴は無い様だ。やはりすでに片付けられてしまったのか。と、ここで参考に昔の地図を引っ張て来ようと思う。

「昭和5年の測量図面」

こちらは昭和初期の地図なのだが、よく見ると東海道本線と東海道支線がある三角の再開発地区に“⊥”がたくさん並んでいる所があるのがお分かりだろうか。ちょうど赤色でマーキングしてあるところだ。やはり8~90年前には既に墓があったようだ。

その昭和初期の地図に現代の航空写真の地図を当てはめる。なるほど、やはり一致するな。さて、取材班が撮影した空撮の様子を再度ご覧いただこう。

「梅田墓」

地図の赤色の部分を真俯瞰にてクローズアップしていこうか。これは文献によると梅田墓と言う名称らしい。今では誰しも西日本の中心としてその名声を轟かせる大阪梅田だが昭和の初期まではこのような墓がこんな所にあったとは驚く限りだな。

実はこの梅田墓は江戸時代に大阪天満にあった墓がルーツだという。その後、梅田の南部に移転、さらに開発で梅田の外れの当地にやってきた。

元々再開発という事で発掘調査が始まり、その時には100~200体の人骨が見つかったという。その後、この本工事の開始により今回のようにさらに追加で1500体の人骨を大量発掘してしまったのだという。

 

更に調査の結果この梅田墓は「大阪七墓」の一つという事も確認されたようだ。この梅田墓は、歴史の授業でも習う近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」などにも登場する場所だ。

そんな梅田墓をもう少しクローズアップしていこう。やはり、もう片付けられているようなのだが・・ん?!ちょっとまてよ。まだ何かあるぞ!

これは何だろうか、空撮機は取材班の目視圏内にいるのだがいかせん小さなライブ伝送画像ではよく分からないので、滞空しながら元データをダウンロードして拡大してみる。ここからが【閲覧注意】だ。

そして拡大した画像がこちら。四角に収められたものは完全に人の骨だな。これはなかなか生々しい。上部に大腿骨、右側は頭蓋骨だろうか。しかも頭蓋骨の左はこれは手ですかね・・・一見ホラー映画のワンシーンや実験模型にも見えなくはないが、本物の人体なのでじっと見てるとなかなかきついな。

 

しかも、埋葬されている近くには石積みみたいなものもある。これは墓の関連施設跡か何かですかね。しかもよく見ると中央下に人骨があるし・・・これはすごいな。

考古学者によると、埋葬された人骨は一般庶民らしく、人骨の年齢も30歳ほどらしい。ただ、これらの人骨は手足が変形していたり病変が見られ人骨の割合が多い様で、骨肉腫や梅毒を罹患していた恐れがあるらしい。梅毒だとしたら遊女とかですかね・・それにしてもよく残ってるな。しかも、密集度合いから農村ではここまでの数が出ることはないらしく、大阪の都市としての繁栄ぶりがよくわかるのだという。

上は四角だったが、これは丸いものに収められている。よく見ると雨が降ってかその中に雨水が溜まっているのがお分かりいただけるだろうか。これはかわいそうだな。発掘されない方が幸せだったのかもしれん。利権だらけの都市開発によって豚骨スープならぬ“人骨スープ”にされてしまっている。ちゃんと弔ってやれよ・・

この墓は元をたどれば江戸時代初期の天満の墓から、梅田南、で、ここなのでもしかするとこの骨は天満の物の恐れもある。町の拡張の度に今回のように掘り起こされ移転され続けてきたのだろうか。何れにせよ死んでなお時代に翻弄された遺骨という事は確からしい。

 

現在の大阪の発展は、彼ら大先輩の努力のおかげなのは言うまでもなく、供養をしてほしいと切に願う。もしかするとあなたの自宅の下にも埋まってるかもしれませんよ。人骨・・・

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(2020)