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全国裏探訪取材班は、本山専修寺の膝元「一身田町遊郭」に来ている。このかつての宗教都市の目の前にも遊郭があった。現在もその姿を今に残している。さて続きを見て行こうか。
前回ご覧いただいた物件がこちらなのだが、どれだけ本山専修寺から近いかと言うと・・
こちら。これは本山専修寺付近の上空付近から、一身田遊郭方面だ。画面中央に上の写真の物件があるのが確認いただけるだろう。本山専修寺から直線距離で100mぐらいだ。
こんな宗教施設の近くに妓楼が立ち並んでいたのも凄いな。これに関しても真宗の本山専修寺の懐の深さを感じる。
今でも玄関先の足元には市松模様の豆タイルが残っていたりと、往時の雰囲気を残している。

こっちも妓楼だな。地味に結構残ってるな。
「貸座敷は目下十一軒あつて、娼妓は五十人居るが殆んど三重縣の女だ。店は寫眞店と陰店と両方あつて、娼妓は先全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。(続)」
この雨戸をご覧になっていただければお分かりだろうが、もう主は居ないらしい。こんな形で朽ちて行ってしまうんでしょうか。残念だな。
入口はアルミサッシに引き戸などがはめられ、それなりにまだイケそうなんですけどね。激安の民泊とかにして外国人に日本の文化を知ってもらってもいい気もしますけどね。今風の転業旅館とかどうかな。
「遊興は「廻し」花制で通し花は取らない。費用は短時間遊びが税共一圓三十七銭で臺の物は附かない。一泊しても三圓位で済む。(続)」
「妓楼は、稲本樓、石壽樓、一月樓、大勢樓、増田屋、福勢樓、月光樓、喜久屋、守正、松榮樓、もり佐の十一軒である。(終)」
乳母車を押して歩いていた老婆が、写真を撮る取材班に声をかけてきた。「古い町でしょう?」と聞かれたので「この辺は遊郭だったらしいですね。」と答えると「そうだねぁ、昭和30年くらいまでは現役だったからね。そりゃ昔は遊び人が多くてね。」などと話してくれた。なるほど。戦後も現役だったのか。
「大勢楼」
で、その老婆は指をさしながら「これが大勢楼だったかな、で、向こうが福勢楼・・」と彼方此方指をさしていた。まぁ老婆が指をさしたこの物件が全国遊郭案内にも載る大勢楼なのは間違いないっぽい。
そのばあさんは、年のころなら80歳くらいだった。もしかするとここで働いて居たってことは無いよね。まさかね。
もう少し婆さんに話を伺いたかったのだが、用があるらしくすぐに歩いて行ってしまった。で、そのばあさんの指差した大勢楼の路地に入っていく。
橋向通に面するところからみると2階建ての物件に見えるのだが、奥には立派な木造3階建てだ。雨戸など手直しをされているようだが、これは素直に素晴らしい。
路地裏の小路から3層部分を見上げる。この物件もガッツリ豪華絢爛な感じではなく派手さを好まず質の良い妓楼と言う感じだ。全国遊郭案内にもあったが、人情は純朴だったとある。ハードソフト共にこのペアって最高だったんじゃないですかね。現代も本当の豊かさとは何か。と、言うのを少しぐらい考えてもいいのかもしれんな。
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(2020)