【島が】新宮市「浮島遊郭」跡と被差別部落「春日地区」を散策する!【浮いてる!】(3)

 

全国裏探訪取材班は、和歌山県新宮市の「浮島遊郭」を目指しやってきた。前述の通り、浮島遊郭と言うのは隣接して存在する天然記念物の浮島からそう呼ばれていた。

「すし政」

取材班は、浮島の森から北側に歩いていく。すると寿司屋を発見。まぁ遊郭とかそういう所って腹ごしらえも大事なんでめし屋もポツポツある場合が多いんですよね。

そんなのんきなことを思いながら歩いていると、このすし政って店、、看板の両隣に赤黄青の三色旗のような意匠があることに気づかされる。これってまさか犬作のチェーン店ですかね?w

「小さな声を 聴く力 公明党」

あ、やっぱりポスターなんかもったりして学会度99%!ですよね。 そうか んがえるのが一般敵だともいますw

そしてその三色の寿司屋を北上してどん突きに出ると東西に浮島遊郭のメインストリートと思しき通りに出る。ちなみにこの写真、奥が東で手前が西なのだが、手前の道幅が少し拡幅されているのがお分かりだろうか。

東西のメインストリートは中央付近で北側にも通りがあり、ちょうど逆T字型と言えばいいだろうか。その北側への通りの道幅も途中から幅が変わっていますよね。これはよくある遊郭の名残の一つだな。現にココだったそうだし。

「お食事」「御食事処」

現在ではさして大した妓楼が多数残っているわけではないんだが、町割りとか、細かいところを見ると充分当時の浮島遊郭の面影を探すことはできるだろう。

もともと、新宮はここから少し離れた新宮市相筋と言う所に、三本杉遊郭というのがあったという。三本杉遊郭は1906年(明治39年)に陸軍兵営誘致のために造られたのだが。1912年(明治45年)に火災にて消滅してしまう。

 

「浮島 7」

その後、1914年(大正3年)にこの浮島遊郭が場所を変え造られたのが始まりだという。

現在の浮島遊郭跡の様子はこんな感じ。ほぼほぼ住宅地になってしまっている。参考までに、1930年(昭和5年)発刊の遊郭探索のバイブル「全国遊郭案内」にはこうある。

「新宮町浮島遊郭 は和歌山県東牟婁郡新宮町浮島に有つて、鐵道は新勝線新宮驛で下車し、驛から西方へ約三丁位の所にあるので徒歩約十分位である。又、自動車も驛前から出る。」

ちなみに全国遊郭案内を読むと、現在は新宮駅からは西方と言うよりは、北西方向だ。これは1930年当時は国鉄ではなく新宮鉄道(新勝線)時代の新宮駅だったからだと推察される。当時の新宮駅は、今の新宮駅よりも40~50mほど北側にあったと言われているためだ。なるほど。一致する。

さて次回も「浮島遊郭」の痕跡を求めてじっくりと街並みを見て行きましょうかね。

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(2020)