【背徳の】三重の桃源郷「渡鹿野島」を現地取材する。【売●島】(3)

 

全国裏探訪取材班は、渡鹿野島に上陸した。さてここから島内の様子を見て行くことにしましょうか。

取材班が島内に足を踏み入れるや否や、栄養剤の自販機がお出迎え。

これはなかなか意味深な自販機だな。確かにソッチ系の遊びには栄養剤が必須ですもんね。でも、ピンクバブルが完全に崩壊した今はこの装備は女性の絵が描かれ「美容に一番」とかなんとか宣伝されてんな。後よく見ると、赤い自販機に青と黄色の加飾が施され赤黄青の見事な三色旗カラー。学会度70%かな?w

で、早速目に入って来たのが怪しい民家。なぜかって?そりゃ見てわかりませんか?雨戸が全て赤系の色に塗られているんですよ?普通こんな色じゃないだろ。

と、思っているとN氏が解説をしだす。「ここは元々●春島なんでね。最盛期はアパートなんかが立ち並んで、物凄かった。一時は民家の一室もホステスに貸し出されてそこに客が潜り込んでヤッてた。」と言っていた。確かにこのドギツイ赤色は淫靡なにおいがプンプンする。

元々江戸時代から戦前にかけては遊郭として栄えてきたこの渡鹿野島。現代でもソレっぽい物件がちらほらと残っている。

この物件なんかも怪しい臭いがする。確かになんかどことなく妓楼っぽいし。

上にある鬼瓦もこんな感じだ。ただでさえ三重県こと伊勢の国は日本の聖地「伊勢神宮」を擁しており、江戸時代から“一生に一度はお伊勢参り”と呼ばれ当時の人々のある種の人生の一大イベントだった。

当然参拝後は“精進落とし”と呼ばれ、参拝後はそれまでの精進から身を開放し、帰路において遊郭などで遊んで帰るのが通例とされたいた。その為三重県は遊郭跡が各地に点在している。ある種この渡鹿野島の遊廓もその一つだ。

 

で、日本が戦争に負け遊郭の根本である公娼制度がGHQにより廃止された。ただ、その後も終わったわけではなかった。戦後は遊郭の妓楼は転業旅館へと変化していく。

今でもそれらしい物件の前には、立派な松の木が生えており当時の雰囲気を思い起こさせる。

「旅館 喜久住」

その後転機が訪れるのは、戦後が一息ついた昭和40年以降。この島で管理●春が始まる。高木瑞穂著「売●島「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ」によると、4人の●春婦が四国から流浪でやってきたのだという。

その後彼女らが、居酒屋、バー、スナックなどに巧く見せかけながら、置屋業を始めて行くことになる。そのあたりからが、戦後勃興した●春島「渡鹿野島」のルーツと言われている。

 

確かに、上陸や否やスナックや、怪しい居酒屋があったり売●島の雰囲気は今でも残っている。

N氏は昔の記憶をたどりながら、いろいろ話してくれる。「確かこのシャッターで閉ざされた物件も当時はピンク色だった」のだという。なるほど。今は閉業した小さな商店にしか見えないがこんな所で女を斡旋していたわけか。

次回からも、取材班はN氏と共に渡鹿野島の全貌を見て行きますよ。これはなかなかの長丁場になりそうだがお付き合いください。

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(2019)