全国裏探訪取材班は、倉敷玉島の「旧天満町遊郭」の結界に入った。古くからある旧道を進むと旧に妓楼が現れる感じだ。まぁただざっとした感覚なのだが、そんなに規模が大きいわけではないですね。そらそうか、北前線の主要航路でもある瀬戸内って腐るほど遊郭の類があるわけだし。
遊郭ないに入ったが現在の物件の半数以上は、既に建て替わっていそうな感じですね。まぁもう売防法が成立してからでも60年ほど経っているんで無理もないか。
そんな現在の旧天満町遊郭の中でも一際威容を残しているのは、この物件ではないだろうか。路地に密接した3階建ての妓楼。これはなかなかの存在感だ。現役時代は「中村」という屋号で商いをしていたのだという。
さてそんな異様を誇る3階部分から目を向けて行きましょうかね。既にかなり劣化が進んでいる。外装の木、中の土壁も大部分が剥がれ落ちかなりやばい感じだな。
細かいところを見ていくとかなり厳しい感じなのだが、2階部分の手摺りなんかだけを見るといまだに現役感がなくもない。
それにしても、物件自体は妓楼なのだろうが、現在は建材のようなものがあちこちに雑に置かれているのは戴けんな。まぁ今でも保全してくれてるので文句を言える立場ではないが。DIY頑張ってください。
「真玉」
かつての屋号が、真玉なのかと思ったら、後ろに天理教の紋章がある。天理教真玉分教会の文字も掲示されている。さしずめここは元妓楼の玉島のおやさとやかたか。悪くない。
で、その3階建ての妓楼の裏には旧天満町と遊郭の守護神なのだろうか、階段があり天満宮への入り口の鳥居がありますよ。遊郭と鳥居これは渋い。渋すぎる画角だ。
鳥居をくぐるとこんな感じ。それにしても目立たない神社だな。門前町が遊郭ってのもまた一興だし。
取材班は天満宮へと入ったが、あるのはいわゆる神社様式の物件ではなく小さな祠が2つあるだけでこれはショボすぎる。どういうことなんですかね。まるで狸に化かされたような感覚に陥った。
天満宮参道の階段を登っていくと3階建て妓楼の2階に通じる勝手口のようなものがあったりもする。これはまさか参拝後の“精進落とし”のための勝手口なのか。それか、この天満宮とその参道はこの勝手口へ入るためのカムフラージュなのか。様々な疑念が尽きない。
最後に1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内の「玉島町遊郭」の記述を抜粋しよう。「(略)當遊廓には目下貸座敷が十三軒あつて娼妓は約五十人居るが熊本、鹿児島、香川縣等の女が多い。店は寫眞式で陰店は張つていない。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。(続)」
「遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一泊は六圓六十銭で十二時迄が三圓三十銭、短時間遊びには一圓十銭等がある。但し臺の物は含んで居ない。娼樓は於い多福樓、二葉、大正樓、第一月の家、敷島、松月、第二月の家、山陽樓、喜楽、改光楼、壽樓、吾妻樓、天満樓等がある。」
さていかがだっただろうか、立地的には河口から玉島港中心部の間にあるので、船で行来するたびに海の男たちがこの天満町遊郭を横目で見ながら通過していたのだろうか。今はひっそりとしているが、当時は海で儲けた男たちの癒しスポットだったに違いない。
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(2019)