全国裏探訪取材班は、基本的な日本の精神を象徴する「八紘一宇の塔」を訪問している。今となっては平和台公園として宮崎の地元民に親しまれているのだが、建設当時は平野部の多い宮崎市内にある標高60mの丘陵地の上に聳え立つ塔のあるここは「八紘台」と尊崇の念の対象だったようだ。
この八紘一宇の塔には1789個の切石が礎石として使われている。これは世界の人々は一つ屋根の下で。との意味合いを込め日本国内はさることながら、外国の様々な場所から石が持ち寄られたようだ。クローズアップして見て行こう。
石はこのように互い違いにランダムに嵌め込まれているのがお分かりいただけるだろうか。しかも世界中から持ち込まれているので種類も様々だ。
「湖南省前田隊」
これは中国からの礎石でしょうかね。湖南省と書かれており、前田隊というのは当時支那に派遣されていた司令官の名前だろう。
「湖北省」
湖北省と言うと今話題の武漢ですかね。
「上海宮崎県人会」
これは当時租借地だった上海在住の宮崎県人会からの寄付だろうか。今でもしっかりと読み取れますね。でも日中戦争の当て付けでしょうかね。中国のものが多い気がしますがw
「南京日本人居留民会」
こちらは南京からですか。これってもしかして南京占領が1937年(昭和12年)なんでその後送られてきたものか。いろいろ物議を醸しそうな石だな。
礎石はそのほか、樺太庁、台湾総督府、朝鮮総督府、満洲国や南洋諸島、独伊の公館からのものもあると言う。中には日中戦争の最前線の地点の石の寄贈もあったらしい。まぁ当時時勢が時勢なんで日本の息がかかった場所ばっかりですが・・黒歴史というか、裏ですね。これは。
で実はこの礎石はかなりの精度で積まれているらしく、音の自然現象が起こる場所としても有名な場所だという。こちらの映像を音声付きで再生していただければわかるが、立て付けが良すぎて音が全て反射してくるという。これはすごいな。当時の建築技術の精度が垣間見れる。
この八紘一宇という文字が少し周りの石に比べて綺麗なのがお分かりいただけるだろうか。これは、戦後GHQの命令により削り取られ主権回復後の1962年(昭和32年)に復元された為だ。ちなみに、それまでの間は進駐軍のロッククライミング練習場にされたりと鬼畜米英に踏み荒らされ荒廃していた。
「荒御魂像」
八紘一宇の塔には四隅に像が配置されており、正面向かって左側にあるのは荒御魂(あらみたま)という武人(軍人)の像がある。実はこの像もGHQの撤去対象になり、撤去。その後、正面文字と共に復元された。
「奇御魂」
左手後方に配置される、この奇御魂(くしみたま)像は漁人を表している。
「幸御魂」
右手後方に配置されるのは、幸御魂(さちみたま)像は農人を表している。
「和御魂」
最後に右手前方の像は和御魂(にぎみたま)像といい工人を表しているという。国の根幹をなす、軍人、漁業、農業、工業を表しているわけだ。
そんな八紘一宇の塔も、現在は主に中国から来る旅行客の立ち寄りスポットにもなり、何も考えずに記念撮影したり、音の反響を楽しんでいる。彼らは、本当の八紘一宇の意味を知ると怒り出すかもしれん。本来の八紘一宇の意味を理解させるのも難しいし、なんてったって向こうは中華思想ですからね、正直相容れない思想ですからね。
取材班は、そんな複雑な思考に駆られながらも、じっくりと八紘一宇の塔を見学することができた。もし、歴史好きなら行っておいても損はないはずだ。
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(2019)