全国裏探訪取材班は、引き続き「中島遊郭」の様子をお伝えしていこう。この中島遊郭は、旭川のど真ん中の中州に存在するというのは既にお伝えしたが、中世から近代にかけてはこの旭川は岡山の交通の要衝だった。
「西中島町(左)東中島町(右)」
この場所から上流に1Kmほど行ったところには岡山城や後楽園があり、瀬戸内航路の交易の要衝としてここは大いに栄えた居たのだという。
かつては舟運の船員たちの旅籠が立ち並び、荒っぽい海の男に対しての商売と言えば・・結果の通りですよね。
こちらは東中島町に面する妓楼。こちらはどちらかと言えば少し新しい部類ですかね。
西中島町の東西をつなぐ路地裏もいい感じでオススメなんですよね。路地裏マニアにはたまりませんよ。
中洲と中洲の間の旭川はこんな感じ。旭川は西中島町川が湾曲しており東側の流れは緩くドブ川のようだ。
どんよりと流れているのがお分かりいただけるだろうか。流れが緩いので、西中島町側は護岸工事はされて居ない。
そうしていると、ひと際大きな妓楼が現れますよ。結構しっかり保全されているその屋号は・・
「ふくだ」
今でも屋号が残っているんですよね。西中島町での一番のハイライトではないでしょかね。かなりの存在感がある。
ちなみにこの中島遊郭の西遊郭・東遊郭は、昭和初期には西日本最大級だったらしく1930年(昭和5年)発行の全国遊郭案内にはこのような記載がある。
「岡山市西遊廓 は岡山縣岡山市西中島新地に在つて鐵道は山陽本線岡山驛で下車する 市内電車及乗合自動車の便がある。岡山は女に恵まれた處で、東廓の外に西廓をも持つて 居る。」(続)
なるほど、この文中から読み取れるのは、西廓(西中島町)は東廓(東中島町)の所属のように読み取れる。しかし、女に恵まれって今記載したらフェミニストはおろか一般女性からも非難され出版社は炎上するだろうなwあ、でもそもそも全国遊郭案内自体が風俗店紹介雑誌全国版ヘ●ンみたいなもんだから大丈夫か。
「両廓共何れ劣らぬ賑やかな殷盛振りを示して、昼猶絃歌の絶え間無いと云ふ有様だ。貸座敷は目下五十九軒あつて、娼妓は約三百五六十人居る。茲も矢張九州地方の女が多い」(続)
それにしても西遊廓だけで、350人ってかなり多いな。さすが“昼猶絃歌”(ひるなおげんか)だけのことはある。かなりの規模だ。昔はここから琵琶や琴、三味線などの当時のムーディー音楽が流れていたわけか。歴史だな。
「店は寫眞店で陰店を張つて居る家もある。娼妓は全部居稼ぎ制で、送り込みはやらない。 遊興は時間制と通し花制で、廻し花は取らない。費用は一時間遊びが一圓五六十銭で、全 昼は 六七圓、全夜は七八圓見当である。臺の物は別だ。 」
ここの妓楼なんかも玄関が完全に取り外されていた。おかげで中の様子が伺い知れたのだが、もしかして取り壊し前夜なんですかね。改装であってほしいところだ。
という事で、まずは西中島町の西遊廓跡はこんな感じだった。さて続いて次回からは東中島町に東遊郭編へまいりましょうか。
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(2019)