【宮崎県初の】。限界集落だった西都市「寒川集落」を探訪する。【集団離村】(5)

 

全国裏探訪取材班は、「寒川集落」の歴史を見てきたわけだが、その続きを見て行きましょうかね。1989年(昭和64年)に平均年齢70歳になった寒川集落だが、それに遡ること3年前の1986年(昭和61年)集落の住人が西都市に対して寒川集落の集団移転の陳述書を提出。西都市側もそれをそれを善処する事になった。

西都市側はすぐに移転先の場所の候補を選出。複数の候補があったよだが、市側は寒川集落から319号線を麓に降りた福王寺という場所への集団移転が決まった。

その後の1989年(平成元年)に最後まで残っていた6世帯13人の住民の集団離村が開始する事になる。

「好評上映中 ※89年超豪華級アクション巨篇!「レッドスコルピオン」!28日公開」「宮崎オスカー」

この宮崎オスカーという映画館は2005年(平成17年)に閉館している。

この集団移転に際して西都市は国の限界集落に対しての補助事業「過疎地域集落再編整備事業」という制度を利用。公的な補助金を受ける形で事業が進んだ。

住民側は寒川の生活拠点と福王寺の移転先の生活拠点の2か所の生活拠点となるが、行政から公的な補助金が出る集団“移転”事業の為、2カ所の生活拠点は認められないと言う事を住民側に求めた。

 

その結果、行政側が住人側に対し補助を受ける条件として提示したのが、寒川集落の生活拠点としての基盤を無くすため、土間のかまどの破壊と、敷かれた畳を上げ住居としての機能を破却する。という条件だった。

住民の中にはその条件に疑問を呈し従わなかった住人も居るというが、現に集団移転から約30年経った現在においては、生活感は皆無で、住人は一人も居ない。

取材班は、今も残る家屋を訪ねるべく斜面を一つ上に登る。そこにはまた別の家が残っていた。

ただ、そんな廃村となった寒川集落だったが、2010年(平成22年)の国勢調査ではこの「大字寒川」の住所に1世帯2人の居住が確認されていたりしたり。と言っても大字寒川というデータ上であり、この住所はかなり広い面積の為、この旧寒川集落の住人ではない可能性もあるが・・

 

この廃屋の縁側からは家の中が丸見えになっているのだが、この物件も比較的状態がよく保存されている。まぁ縁側上のベニヤは見ての通り剥がれているのだが。

縁側には、今だにソファーが置かれて居たり。ここでかつてこの家の主人がリラックスしてタバコでも蒸かしていたのだろうか。

その主人が使っていたであろう、風呂場もいまだに健在だった。集落から住人が消えて30年が経過した。ゆっくりと朽ちて行っているのが分かる。

集落に入って1時間ほど探訪したが、まだ半分も見れていない。次回も寒川集落を見て行きましょうかね。

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(2019)