【血で塗られた】実は今でも継続中「三里塚闘争」の現場!「木の根ペンション」「横堀鉄塔」「東峰神社」に足を運ぶ。【成田空港】(9)

 

全国裏探訪取材班は、このレポの最後に1番滑走路に近い「東峰神社」に足を運んでいる。この神社の曰くに関しても皮肉があったりするので、最後その辺のところを見ていきましょうかね。

「東峰神社」

取材班は壁より高い所から撮影をすべく、現場に用具を持ち込み撮影していた所、通りから警察と思しき人物が声をかけてきた。

壁の上には、人感センサが数メートルおきに配置され、人間などが動くと発報するようになっているっぽい。

で、そのその警報はどうやらこの敷地側の監視所にあるっぽい。

こいつらが四六時中こっちをのぞき込んでくる。マジでうぜーわ。声をかけてきたのは、警察の制服を着た人物。取材班に対し「おたくらどこから来たの?身分証は?鞄の中を見せて?!」などと藪から棒に色々要求をしてくる。

 

まあ、本物の警官だろうが、あまりに高圧的な態度だった為、取材班は逆に「貴方方は本当の警官ですか?氏名、警察手帳、バッジの固有番号、所轄、階級、上長の名前を教えてもらえますか?」と我々もメモを取り防衛体制で切り返した所、氏名と警察手帳のみを見せて「この辺は物騒だから!それを言いに来ただけ!」と、去っていった。

「東峰神社」

ちなみに、ここからほど近い東峰十字路では1971年(昭和46年)に神奈川県警察特別機動隊が反対派のゲリラ集団の襲撃を受け警察官の負傷者80名以上、死者3名が出たという。

なるほど、参拝すると100%職質を受けるというのは本当らしいな。良い子はちゃんと警察に協力しましょうね(笑)

この東峰神社の構成は、比較的新しめな鳥居、片側の欠けた狛犬が一対、石灯篭が一対、手水舎がある。

 

手水舎は水が枯れており、完全に形式だけのものだ。柱も上物にしては細くどこか貧相だ。

本殿というほどのものではない、小さな祠がある。大きさはせいぜい1㎡強ほどか。調べてみると中には御神体は無いという。もともとこの神社は1937年(昭和12年)今でいう習志野市にあった伊藤飛行機製作所の工場敷地内に在った空での殉職者を祀る神社だったという。

「航空神社」

その名も航空神社。習志野にあった会社もその後、1953年(昭和28年)にこの地に事業所を構えその際、航空神社もこの地に遷座。東峰神社となった。現在でもその名残が石柱に残っている。

この東峰神社は空港建設時の三里塚闘争においても、用地買収を巡って反対運動が特に激しかった場所でもあり、この神社の存在を内外にしらしめ、神社の取り潰しに反対。空港建設の防波堤に利用していたようだ。ただそれが、かつては航空神社と言われるものあり、なかなかの矛盾に満ちた皮肉なわけだが・・現在はその石柱に刻まれる航空神社という文字もコンクリートで埋められていたり。いろいろ考えさせられる。

次回最終話は、この成田闘争の当時の資料などを見て行きたいと思う。

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(2019)