【血で塗られた】実は今でも継続中「三里塚闘争」の現場!「木の根ペンション」「横堀鉄塔」「東峰神社」に足を運ぶ。【成田空港】(1)

 

全国裏探訪取材班は、読者もご存知の通り我々取材班は良く今回のテーマの一つでもある「成田空港」を利用している。1978年(昭和53年)に新東京国際空港として開設して以来、日本を代表する国際空港として今でも「成田空港」として全国的な知名度はとても高い。

「成田空港」

ただこの空港は何もなかったところに埋め立てて造った、羽田空港や関西空港、神戸空港などと違って千葉県の内陸なので元々集落があったわけだ。

「1960年代の成田空港の様子」(空と大地の歴史館より引用)

この画像を見ていただこうか。これは実際の1960年代の航空写真だ。画像を見るとわかるがかつては農村や牧場のようなものがあったようだ。その為この元々の地権者と、空港開設を急ぐ行政側とで土地回収の初期から衝突。当初は公益を優先する行政側の主張がなかなか聞き入られる時代ではなかった。

「楽しい旅を 成田空港 NAA」

今でこそ海外旅行が一般庶民でも浸透しているが、当時と言えば国内旅行といえば夜行列車が全盛だった時代。飛行機に乗って国内旅行や、さらに海外旅行なんて庶民にとっては高嶺の花だった時代なんだよな。抵抗した側の地権者である農民がそんな将来の見識を持てるはずがなかった。

「三里塚闘争」(空と大地の歴史館より引用)

その衝突は徐々に激しくなりこれが、極左による過激派も加わり、行政側からは警官隊や機動隊迄が加わり、血みどろの闘争が始まることになる。

「三里塚闘争デモ隊」(空と大地の歴史館より引用)

実はその闘争に関しても今でも継続中という扱いになっており、空港の出入り口や、バスストップの端には常に警察の機動隊車両が常駐している。

世界一セキュリティが厳しいといわれる成田空港だが。実際現在の成田空港はどのような状態になっているのか。入っていくところから見て行きたいと思う。まずは地上からバスや乗用車でのアクセスだ。

取材班は意気揚々とバスに乗ってい空港敷地内に入っていくのだが、早速検問ゲートが現れる。赤と青の信号機が備え付けられているのだが、ここへ現在は通過することができる。

2015年(平成27年)3月まではこの検問ゲートで係員に止められ、免許書などの身分証や、搭乗券などを要求されていた。

搭乗券などを提示できない場合は空港への来た理由を聞かれていた。場合によってはトランクを確認されたり、荷室を見られていたり、バスの場合は係員がバス車内へ乗り込み一人ずつチェックされることもあったという。

さて次回は、成田空港の建屋内に入っていきますよ。

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(2019)