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全国裏探訪取材班は、別件の取材にて大分県の別府に来ているのだが、さすが大分。“温泉県”って言うぐらいなので町のあちこちから湯けむりが上がる街だ。とても風情がある。
「南的ヶ浜町公民館」
そんな別府の街並みと、大小無数にある入浴施設の散策も結構なのだが、取材班は別府にさらにDEEPな旅館街があるというのでノコノコやってきたわけだ。
別府の住人は自宅の浴槽に入る人は少なく、基本的に朝から公衆浴場へと行き、労働後にまた公衆浴場へ行く。というのが日課化している。当然、その温泉産業に従事している人口もかなり多い。
また、別府というのは大分の重工業地区を抱える大分市街地と違い、かつてより温泉を中心とした湯治などの産業しかなかったので、大東亜戦争時は一発の爆弾も投下されていない場所なので比較的に古い街並み、区画がそのまま残っている。
平日の午前中にもかかわらず、買い物帰りに公衆温泉に入って来たと思しき老人がカートを押しながら歩いている。

別府駅前から少し北に行った路地、なにやら不自然な建築物があるな。
JR日豊本線の下に完全にバラック建築だな。別府駅前、高架下付近と言う事は戦後ドサクサ系の物件だろうか。だとしても驚きはしない。
「福祉の輪、拡げ住みよい、街づくり 野口校区社会福祉協議会 昭和60年度入選作品(一般の部)」
そのバラックにはこのような文言が、まるで助けを乞うているかの標語だな。
「北部旅館街」
そうこうウロウロしていると北部旅館街と書かれたゲートが現れる。これが今回の取材班の目的地だ。それにしてもこの渡し看板かなり趣あるな。○○新地みたいなネーミングでもおかしくない感じがまたイイ。
この北部旅館街と言うのは、元々は「行合町遊郭」というものだったらしいのだが、例によって赤線が終了した後は、一斉に旅館に転換した。
「旅館 すずめ」「ちとせ」
旅館街に入るや否や、旅館と書かれた怪しげな物件が。これ、実は今だに現役の旅館だという。
旅館街に転向したとはいえ、当然ながら別府の豪華な温泉とは全く違う年季の入った民宿のようなかんじだな。
さて次回はそんな昭和の空気を色濃く残す“旅館”のディティールをじっくり見て行きましょうかね。
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(2019)