全国裏探訪取材班は、空港第2ビルから長い地下道を通り「東成田駅」を目指している。この駅は「旧成田空港駅」と言われかつては、成田空港への唯一の鉄道アクセス手段だった。
長い地下道を歩く道すがら遠くからガラガラと音を立ててやってくるのが聞こえる。この地下道は高低差があるので、最初は音だけ聞こえるので何が来るか分からないから結構恐怖かも。また単なる台車だったのですが・・
歩くこと徒歩8分ほど、どうやら東成田駅に到着したらしい。
これは結構長かったな。もう二度と歩くのごめんだ。
地下通路を出ると、すぐ左には券売機があるな。見たところ誰もいませんが・・
券売機売り場の路線図を見る。現在はこの東成田駅の役割は完全に成田空港駅と空港第2ビルに譲っている。それではなぜ、この東成田駅が生きながらえるのか。それは空港関係者の利用が大きいという。あとこの東成田駅から先は芝山鉄道線としてたった一駅の私鉄が敷設されている。
駅時刻表があらかじめ掲示されている。だいたい40分おきで運行されているようだ。
乗ろうとしてもこの改札辺りで、電車の音が聞こえたらもうそれはアウト。40分後まで待ちぼうけor500m歩いて空港第2ビルまで行くか。という、比較的に難易度が高い駅でもある。
さすが元々、日本最大規模の空港ターミナル駅だけあってかなりのキャパシティがある造りだな。階段とかなかなか気合入ってる。上の日通の広告が時代を感じさせる。
いまは人っ子一人しかいないが、新東京国際空港(現成田空港)のできた1978年(昭和53年)から、成田空港にJRが開通する1991年(平成3年)までの13年間は鉄道で成田空港を利用する全旅客はここ「旧成田空港駅(現東成田駅)」を利用していたわけだ。
「曲水の宴」
平安時代の貴族の遊びをイメージしたものというが、設置したのは1980年(昭和55年)。と言う事は新駅設置までの10年くらいで、日本のバブルも終了したのと同時に、貴族の遊びレリーフも檜舞台から転落したわけですね。
当時は、海外旅行!とか、浮かれ切った広告やポスターが貼られていたに違いない。今ではそんなものも貼られることはない。
スマホの使い方を誤ってこの駅に誘導されたのか、それとも、廃墟マニアか。一人スマホいじりにふける中年。絵になりますね。
こんな地下に居ても陰気になりますので、次回は地上部分を見て行きましょうかね。
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(2019)