【現役の】和歌山のスーパーノスタルジー遊郭「天王新地」とその界隈を見物に行く。【私娼窟】(3)

 

全国裏探訪取材班は、全国遊郭案内にも載らない「天王新地」に来ている。昭和初期に発刊した全国遊郭案内にも載らない天王新地が日の目を見る時が来る。それは戦後になり赤線として認定された時だ。

「天王料理組合」

元々、赤線というのは戦前の公娼制度による遊郭をGHQによる公娼制度廃止ご赤線という特殊な地区に分類していたエリアなのはご存知だろう。ただ、その分類に戦前の私娼窟が分類されることになり、何事もなかったように元遊郭と同等の地位を得ることになる。なるほどな。

さて、さっそくその赤線を見ていこうか。例によっても新地のエリア内も国道からすると一段低い地盤にある。俯瞰してみられるのが特徴だ。

「天王新地」(西)

天王新地は大阪五大新地のように規模は決して大きくなく、50mそこそこの南北の路地が西と東に2本あって、それが奥で繋がれているだけの簡単な構成だ。地図を見ればU字型と表現できるだろうか。

物件は決して◯◯遊郭みたいな立派な妓楼ではないが、二階の屋根の軒下には丸い電灯とか、一階出入口脇には縦長の格子窓が据え付けてあったり遊郭のそれらしくしている。見栄だなこれは。

 

「まる市」

この天王新地の記載があるのは1955年(昭和30年)に刊行された「全国女性街ガイド」に少し記述があったので引用の上紹介したい

「紀州五十万石の御城下も戦災から面目一新。芸者より赤線が繁昌。阪和新地に三十軒、天王新地に六十五軒、女は合わせて四百名。最近は、三年前の風水害で付近の湯浅、御坊辺から素人娘が流れ込みうまく行くと情緒てんめん」

とある。この風水害と言うのは年代に一致するのは「南紀豪雨」の事だろう。地元和歌山の年配者は、この豪雨の事を覚えている人が多いと言う。で、この時孤児になった年頃の女が働いていたと言う事か。こんな土地ではよくある話だが、悲しい歴史だな。この猫はそんな理不尽な私娼の生まれ変わりか。

天王新地の一角は、見ての通り空き地も増えてきていたりもするが、昔はもっと密集していたんでしょうね。なんと言っても65軒もあって、人数は阪和新地と天王新地で人数を半々だとしても200人の私娼がいたわけだすよ。考えられんな。未だにその時代を静態保存したように当時の様子を忍ばせる。

 

さて、次回は天王新地東の通りを見ていこうしようか。小さい新地だが意外に見るところが多いな。

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(2012,2019)