全国裏探訪取材班は、岐阜市花園町にある「国際園」にきている。この国際園というのは、金津園と目と鼻の先にあるのだが性格は全く違う裏探訪スポットだ。前回は国際園周辺の街並みを見てきたので、今回は国際園のコアな部分を見ていければ。と思っている。
裏探訪取材班は国際園に西側から進入することにした。のっけから何やら妓楼風の建物が。
うわ〜この建物やばいぐらい渋い。これだけでも見に来る価値を感じさせる佇まいだな。今からでも民宿とかビジネス旅館として転用できるんじゃないのかと思わせる。
なんという屋号なのかは知る由も無いが、ここもおそらく往時はソレ目的の客で賑わったに違いよな。で、この国際園の誕生時期は前述したように、1956年(昭和31年)なのだが、勘の良い方ならお気付きだろうが1956年といえば売春防止法が成立した年だ。
「ビジネス SNACK 友」
売春防止法いわゆる売防法の施行は翌年の1957年(昭和32年)だ。そんな時期での、闇市からここ国際園に移転した訳のので、当時はもうすでに売防法が施行するのはわかっているので施行後に違法にならないように、旅館やスナックにいつでも業態変化できるような街の作りになっている。ちなみに赤線の廃止はそのさらに翌年1958年(昭和33年)のことだった。
ここのスナックなんかもその当時からのものなのか、今はスナックに業態変化しているように見える。
「ミカド」
国際園といえば“ミカド”!というほど有名なこちらの物件。長屋のような作りで、こっち方面好きの訪問者にかつて青線時代の雰囲気を現代にも提供する。
いやこれ渋い!渋すぎる!取材班も思わず声に出る。怪しさ満点のかつての私娼窟の存在をこれでもかと放っている。素晴らしい。
「ミカド」のフォントなんかたまんねーな。ズタボロの室外機もやばいぐらいアクセントになってる。
「ミカド」「祇園」「松葉」
こちらは長屋を横から見た図。ミカド・祇園・松葉の三連装。いつまでこん景色が見られるのか。にしても、青線以降も暫く私娼を置き営業を続けたらしいが、時代が経つにつれそれも徐々にフェードアウトしていった。
このアンバランスとランダムネスの組み合わせが、逆にバランスを保っているようにも見える。なるほど。これが年季っていうやつなのか。
こっちの建物なんかもやばいね。コの字型の建物で2回には客間らしき部分が。
窓のつくりは豪華では無いが、欄干に意匠があったりといかにも、どこか赤線っぽい。
その2階も今では魔改造され、洗濯物が干されるド生活感満載の風景。いまでも住居として共用されているのも素敵だよよね。
やはり、国際園設置時には売防法が確定していたため、がっつり妓楼!みたいな建物が少なくて、スナックや旅館に転用できるような町作りをしていただけあって、今現在も多くの物件が残されているのは嬉しい限りだ。
一時は名鉄岐阜前にも設置される話もあった国際園だが、そんな駅前に設置されてたら今頃再開発で壊滅しているだろう。この花園町に根を張り、しかも売防法確定後のまちづくりでることで生きながらえた。色々な条件が重なり、今にその姿を残す国際園の変遷は裏の岐阜史に語り継がれるだろう。
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(2017)