全国裏探訪取材班は、開設から現在までほぼ無料で、1280件の記事を毎日更新してまいりました。
しかし、昨今のコロナ禍と言われる状態で、広告収入が最盛期の20%まで急減しており、運営の継続を支障をきたす状態となっております。
基本的にこのサイトは読者からの取材依頼で成り立っており、面白いこと、不思議なこと、理不尽なこと、主張したいこと、内部告発などの読者よりの依頼を取り上げてまいりました。
中にはリスクの高い取材もございました。
ただこのままの収益では残念ながら、取材依頼に答えることが出来なくなってしまいます。
もしよろしければ、NOTEと言うサイトで月額税込み880円のマガジンにご登録いただき、ご支援を継続していただきたいです。毎月定食1食分をカンパしていただけませんか?
もちろん、マガジンの登録支援者様に関しましては、優先的にタレコミを取材したいと思います。
↓マガジン登録はこちら↓
https://note.com/uratanbou/m/me293e2d8f92d
何より熱心な読者様の支援が力強い原動力となります!!どうぞよろしくお願いいたします。
全国裏探訪取材班は、かつて三原市にあった糸崎町松濱遊廓を当てもなくウロウロしている。取材班は前回まで細い路地を入ってゆき、2号線のバイパス沿いまで見て行くことが出来た。今回最終回はその続きを見て行こうかと思っている。
「安藤ストアー」
元赤線地帯だけあって、なかなか趣ある街なのだが港と山に挟まれた狭小の土地故実際30分もあればざっと見渡すことが出来よう。
この地区ではここだけのマーケット。生鮮食品から乾物、酒、ジュースまであらかたのものは何でもそろう店だ。やたら貼り紙とか多かったりするが、まぁ田舎にはこう言った店はよくありますよね。
港の逆、北側には山がせり出し、それにくっ付くかのように、国道と山陽本線が走っている。普通にしていれば鉄道や自家用車で何事も無かった場所のように通り過ぎてしまうな。
それらに圧迫されるかのように、グレーの汚いモルタルがこの土地の雰囲気を色で表している。決して華やかな歴史だけではないだけに、よけいにこのくすんだグレーが映える。

此のグレーが堪らないな。年季。という言葉がふさわしいだろう。
取材班は再度、車も通れないような路地裏へと入ってゆく。
妓楼風の建物もやはりちらほら、空き地になったり、駐車場になったり。元は全て遊郭だったんですかね。
長年の風雨に晒されてか、かなり来てるな。これは朽ち果てて行くのを待つのみなのか。
「松浜東町内会 消火器配置図」
一般の地図ではないがここに分かり易い地図があったので掲載しておく。消火器の配置図なのだが、これは非常に分かり易い。消防車が入れないくらい狭い路地もあるので、初期消火として消火器を配置するのはマストだろう。
いかんせん、住居と住居の間が極小なので、ひとたび天井に火が付くと、町全体が灰燼に帰してしまいそうだ。
うわ~こっちも青のビニール。元々接続れれてた家屋のシルエットもはっきりわかる。それにしても家が無くなると一瞬で草ボーボーになるんだな。
ここもズタボロだな。2階の窓なんか割れ放題だし大丈夫なのか。よく見ると窓がするガラスになってて、その中央部分が縦の楕円形になっており透明になってる。これとかも赤線地帯ぽくないですかね。
歯抜けになっった土地は既に売りに出されているようだ。買い手なんか居るんですかねこんな土地・・・
空き地になったおかげで、物件の裏側が見えたり。2階の妙に大きな窓らしきものも気になる。
1階の部分の拡大。結構来てますね。炊事場だったのだろうか。
取材班は最後、ぐるっと回ってきた一番奥に港に面したところには、いかにもthe妓楼のような造形のがあった。
当然、1956年(昭和31年)の売防法以降は廃業しなくなってしまったわけだが。その道の商いの痕跡ですよね。この入口玄関をどれだけの客がくぐってきたのだろうか。想像は尽きない。
地元民曰く遊郭廃止後、娼妓の大半数は地元へと帰り、残りは他業種へ就職などをしたようだ。隣県山口防府の三田尻のように後も続いた形跡はないという。妓楼もその後生活用の一般家屋として利用されている例が多い。思いのほか規模が大きく、建物も残っている。地味だが侮れない裏deepスポットだった。
#三原市 #遊郭 #レトロ #路地裏 #公明党 #鉄道 #マニアック #ズタボロ
(2019)