全国裏探訪取材班は、焼津の元赤線、中港5丁目にある通称「弁天地区」を見て来たのだが、港町の狭い赤線かと実は舐めてかかってしまったいた。3ページくらいで紹介が終わるかと思ったが写真の枚数も意外と多くなってしまった。
さて先ほどの銀水楼から、町をさらに見て回ると、やはりトタンなどで加飾wされた民家が多く煤けた様子。
元赤線と言うだけあって、怪しい店舗の残骸があちらこちらに。
何度も書くが遠洋漁業を始めとした男所帯の港町の為、こういった定食屋の残骸もあったり。
海の上では新鮮な生鮮食品は食えないため、陸へ上がった乗組員たちはここで胃袋を満たし、夜の町へ繰り出したのだろう。ほぼそれで間違えない。
「BAR うるわし ☎(8)3208」
何が“麗し(うるわし)”なのかは分からないが、おそらく女の事を表現しているのか。それとも数か月の過酷な遠洋漁業から帰り財布が“潤う(うるおう)”なのか。ま、どっちにしても宵越しの金は持たん!と言うような乗組員も多いだろうからこの弁天地区赤線は大いに賑わったと聞くが。
この街を歩くとどこを切り取っても港町としてしか表現できないが、やはり近海では無く遠洋だな。
町並みも潮風で錆が周り全体的に暗いトーンが印象的だった。
当然もともとは明らかにソッチの商売だろ。と考えるほかない物件も多々ある。
公明党の次は、共産党か。事務所もあるし。こういう地区です。はい。
「まつば」
この“松葉”と言う屋号も1954年(昭和29年)には既に特飲店(特殊飲食店)に登録があった。完全に当時のそれだな。
現地民に聞いた話によると、この赤線に登楼するの主に船の乗組員が利用していたらしく、現地民は静岡の西にある清水の赤線へ行っていたという。
逆に言えば、現地民はここを利用しなかったともいえるよな。ただでさえ乗組員なんて血気盛んだし、遠洋漁業に出ると数か月は戻ってこられないので、遊び方も半端じゃなかっただろうし。そんな命を張って仕事をする人間を相手するんだから娼婦も結構根性あっただろうしな。
これもおそらく、古い特殊飲食店だろう。当時はもっと鮮やかなピンク色だったのではないだろうか。
どちらにせよ、かつてここ静岡県焼津市中港5丁目弁天地区が赤線として大いに繁栄していたというのは間違えない事実のようだ。
東南海大地震で津波で攫われる前に訪問をお勧めする。
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(2019)