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全国裏探訪取材班は、広島市にある「市営基町高層アパート」に来ている。ここはかつて原爆で更地となった元軍用地に、原爆スラムとして自然形成された場所だった。
取材班がまず訪れたのは「市営基町アパート」。ここは今回のメイン物件である市営基町“高層”アパートではないのだが、お膝元であるこの物件から見て行きたいと思う。ますば映像からどうぞ。
「市営基町アパート」(低層物件)
ここはかつては「基町不良住宅街」と言う名の原爆スラムがあった。
「原爆スラム」(基町不良住宅街)の様子。

終戦後1946年(昭和21年)には、広島市が“十軒長屋”と言う応急住宅を建設し始める。それに便乗するかたちでバラック建築が乱立し1000軒ほどの不法建築が建っていた。これが原爆スラムの発端だ。
その後、1949年(昭和24年)広島平和記念都市建設法によって旧軍用地が都市計画に割り当てられることになる。それによって公園と住宅整備に向かうことになるのだが・・
建築に際し市と県の行政の足並みがそろわず計画は延々と進まなかった。そんな中、防火などの防災設備の不備や密集するバラックの為、度々火災に見舞われた。
その中でも1967年(昭和42年)7月27日に起きた火災では93個の家屋、総面積4085平方メートルを焼き尽くした。
その後は、基町地区再開発促進協議会が設置され、1970年(昭和45年)4月に、基町地区に住宅改良地区として着工した。
「中区 基町 16」
こちらは低層の市営住宅部分。これらの棟が4×5列あり20棟ほどある。
今(も)は日本人以外も、中国人、朝鮮人も多く住んでいるという。事実この事業を完成るるにあたり、立ち退きなどの強制執行はなく行われたという。行政敗戦の責任などから、相当な好条件でこの物件に“住まわせた”と言うのが実際の所だろうか。
「ゴミの不法投棄はやめましょう!」
やはり中国語でも書かれてんな。朝鮮語がないのはコリアン系は既に滞在年月が長い為日本語に慣れているのだろうか。まぁ最近は3世4世もザラだしな。
こっちも中国語。やはり朝鮮語はない様だ。と言うか在日朝鮮人は既に逆に朝鮮語はもうしゃべれない若いコリアンもいるかもな。
ただこの低層住宅群は“市営”住宅部分(左)と“県営”住宅部分(右)もあったが、最近になり県営部分が取り壊された。
低層住宅群は“市営”住宅部分(中央)と“県営”住宅部分は空き地となった。現在でも行政に対し新しい住宅を作るような運動もあるようだが、今後どうなるのかはまだ不透明だ。
次回は、この低層住宅群のショッピングセンターを見て行こうか。
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(2019)