【中四国最大の】広島駅から徒歩2分、戦後ドサクサ特飲街跡「大須賀町」を歩く。【私娼街】(1)

 

全国裏探訪取材班は、別件で広島市に取材に来ているわけだが、新幹線の乗車時間まで時間があり、食事、トイレ、など全て済ませたのだがまだ一時間以上あった。すっげー暇だったので広島駅の周辺を散策してみることにした。

「広島駅前」

久々に広島に来ると広島駅前はどでかいタワーマンションが建設されてんな。

広島駅の南口を出て右側、ちょうど郵便局の裏辺りに、取材班好みのズタボロの街を発見。散策してみることにした。

その地区の名前は「大須賀町」といい、戦後にできた特殊飲食店街。そう、特飲街だ。

この特飲街と言うのは、いわゆる赤線と同義で用いられることが多い。まぁ、どちらにせよ訳ありのスポットだ。この地区の様子をじっくりと見て行こうか。

この地区の特徴と言うべきか。ここの大須賀特飲街は3階建の建築だ。“戦後ドサクサ三階建バラック風”とでも表現しようか。何とも言えない不揃いな3階建がやたら目に付く。

この地区が出来る前、大東亜戦争中に投下された原子爆弾によって広島市街地は灰燼に帰し、無論広島駅も荒廃しきっていた。その後終戦を迎える。

人々はやがて復興の為、中四国最大の広島へ活路を見出しやってきた。当然人々の流動性は再び上がってゆき、戦後荒廃した広島駅に人が集まり始めた。そうしたことが起これば、当然切って切り離せない産業がある。そう広島駅前に私娼として女が集まって来たのだ。

今はこんなにきれいな広島駅だが、当時は軍人の夫をなくしたり、原爆で家族が離散したり・・事実そういった暗い世界に身を落とした未亡人の女もかなりの数が居たという。広島駅の周りには散娼(私娼)が多く居り社会問題化していたようだ。

 

現在の「在来線広島駅構内」

当時酷い場合はホームにまで私娼が進出していたらしく、1951年(昭和26年)第6回広島国体も控え問題の対応が急務になっていたという。

そこで都市計画として、この散娼を集娼し一括移転することにした。そこで白羽の矢が立ったのがこの「大須賀町」だった。一時は広島市街地の旧練兵場、戦後は原爆スラム等があった「基町」や西遊郭のあった「小網町」などが上がったようだ。

そんなこんなで、結局は元々商売をしていた広島駅駅チカのここ「大須賀町」に散娼を集めた特飲街ができることになる。この町を見るとそんな往時の雰囲気がかなり伝わってくることは言うまでもない。次回以降は、そんな大須賀特飲街をもっとじっくり見て行こうか。

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(2019)