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全国裏探訪取材班は、前回まで天理教会本部である礼拝堂の外観を見てきた。
今回はその天理教中枢部の詳細をさらに見ていきたいと思う。

この礼拝場は24時間365日解放されており、参拝の予約や記帳は一切ない。
もちろん天理教の信者ではなくてもそれは同様だ。
天理教ではこの参拝の事を“おぢばまいり”と言う。この参拝所の事を「おぢば」といい人類発祥の地点という考え方があるようだ。果たしてこんな奈良の片田舎が人類発祥とはいささか疑問が残るか、天理教的にはそのようだ。非信者にも24時間365日受け入れるのはそのためだという。まさに“ようこそおかえり”である(笑)

沼津詰所の「ようこそおかえり」。

取材班は靴を脱ぎ礼拝場へ上がる。そこは、おぢばを中心に東西南北の礼拝場が一つになった巨大な空間だ。中心に“甘露台”(かんろだい)という柱が置かれておりそこが、人類の発祥らしい。それにしても礼拝場は3157畳あるらしい。さすが天理教、やることがビッグですw


礼拝場の中では全員が甘露台に向かって“おてふり”という独特の手の動作をしながらお題目を唱え、“おつとめ”をしています。
「あしきを~はらうて~たぁ~すけたまへ~~ てんりわうのみこと~・・・」信者全員で合唱している。妙な音程だが耳には残る。

さて取材班は礼拝堂北側の教祖殿の方に2階建ての回廊を通り向かいます。
回廊の入り口にはきれいな雑巾が置かれ、信者に暗に掃除を促しているようです(笑)
回廊の床は檜だろうか、信者によってピッカピカに磨かれている。
中には両手に手袋のような雑巾をして、ひざにも雑巾を巻き付け“ひのきしん”(日の寄進)に勤しんでいる。

「教祖殿」礼拝所からは中庭を挟んだ北側の緑の屋根。ここは天理教教祖である中山みきの住まいとされている。中山みきは1887年(明治20年)に没しているが、天理教内では「身を隠された」という教えをしており、「現在でもここでお暮しになっている」とされている。毎日配膳なども欠かさず行われているようである。
毎日のように叙勲や対談などと言って新聞には出るが、信者の前に出ないどこかの教祖よりよっぽど腑に落ちる(笑)

しかし、チリ一つ落ちていない。これは本当に心が清らかになる気分です。下手な京都のビジネス寺院より効能がありそうです。w

西礼拝場を後にします。

神殿より西側を見る、おやさとやかた西棟が見える。
次回いよいよ最終回。このおやさとやかた西北を見て行くことにする。
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(2017)