【エセ同和】城主松尾正信「楠橋城」界隈のタブーに挑む!【で○○億円】(8)

全国裏探訪取材班は、北九州土地転がし事件の舞台になった北九州八幡西区楠橋に来ている。この楠橋地区にある通称「楠橋城」はこの事件で獲た多額の莫大な利益で建てられたのだという。

「楠橋城」

当初、同和の名をかたり坪2,000円で仕入れた土地を約1万円ほどで転売した転売ヤー松尾正信なのだが、この後も行政へ購入の圧力を緩めることは無かった。

正信らは行政に対して、1972年(昭和47年)から数年にわたり購入を強引に働きかけ、最終的に北九州市住宅供給公社は計15回にわたり土地を購入したのだという。

「北九州市立 楠橋地域交流センター」

現在の楠橋地区には地域交流センターと言う名の同和対策の行政拠点がある。これも松尾らが作らせたものなのだろうか。

「部落差別の解消の推進に関する法律」

「差別だ!」「同和を解消するつもりはあるのか!」などと松尾正信自らが同和出身者であることを逆手に取り、1976年(昭和51)年の土地の買取価格は実に約6万円に達していた。

そりゃここまでバカでかい城を模した自宅が建つわけだ。2,000円で仕入れた土地が、6万円ですからね。その率はなんと30倍!100万円が3,000万円。1,000万円が3億円だ。

そして、最終的にはこの団地建設の計画は一部を除き頓挫。殆どが住宅用地として分譲されることになった。そもそもこの行政側の団地建設の話が本気だったのかも疑わしい。

渋々彼らの土地を買うための、行政の方便だった捉え方もできる。これもまた、同和政策や差別解消に付け込んだ二ホンの闇なんですよね。これを見れば話題の2,000万円のセンチュリーなんて安く感じる。

 

ちなみにこの通称「楠橋城」もその不当な利益で建てられたのは言うまでもない。徳を積んで建てた物件でも何でもなく、ただの強請りタカリによる物件だったわけですね。観音像なんか立てても徳は積めませんよ。そもそも金の出所が汚いんですからw

当然、そんな不当なやり取りを疑問視した議員も居たようだが、多勢に無勢だったようだ。警察の捜査が始まっても松尾らは「土地の買取価格は行政が決めたものだ!」との主張を繰り返し警察による介入も最終的に咎められることは無かったのだという。さすが同和の親玉、強かすぎるな。さすがだw

「「私」からはじめる「私たち」の多様性社会」

当然そんな松尾正信の行為を他の勢力も黙って見逃すはずもなかった。松尾の土地を買ったという既成事実が出来たせいで、他の同和民も「同和会の土地も買ったのなら、うちの土地も買えるやろ!は?買えない?!差別だ!!」と言った論法だ。

「立派な家の娘さんが 部落にお嫁に来る でも生まれた子どもは やっぱり 部落だと言われる どうやら人の寝うちは 生まれたところによって 決まるらしい 人びとはいつの日か このあやまちに 気づくであろうか」

こんな作品がデカデカと飾られる地域交流センターなのだが、この地区の歴史を考えると滑稽でならない。結局同和・部落出身者が立派な“家”を建てたがって、事実建ててんじゃんw

 

ちなみにこの楠橋城、建築中に行政より建築基準法違反であることが通告され立ち入り検査や工事の中止勧告が出されたが、松尾正信は「城を建設するんは小さい時からの夢やから、この期に及んでやめるつもりはない!」と拒絶。

建設中の現場に「市の関係者及び見物人の立入禁止!!無断で入った場合命の保障はしません!!」との立て看板で対抗した。

こうして松尾正信は無事にたんまり溜め込んだ金で「楠橋城」を落成。城主正信は2003年(平成15年)27日死去。88歳の大往生だった。嫌われ者が世の憚る。とは正にこの事ですかね。以上、同和・部落民の親玉のお城のご紹介でした。

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(2020)